2015/04/15

Saggio #2

#2 「ローマでの出会い」

 ローマに着いて早々の入院から約1週間ほどで退院したのち、ローマの洋服屋巡りを始めた。
しかし、ほとんどの洋服屋は閉まっていた。驚くことに7月20日頃から9月10日頃までは夏のバカンスだという。私も同じようにバカンスを、、、とは経済的に許されず、アルバイトを探すことにした。
運よく三越がローマで営業をしており、そこで御恩を受ける安西さんに出会う。安西さんはユニオンシューズのローマ店長として三越の靴売り場コーナーを任せられていた。ラッキーな事にバカンスの間ここでアルバイトすることが出来、その後洋服の注文も頂き公私ともに可愛がってくださった。私の洋服屋としての1番目のお客様でもある。

9月、ローマでの生活にも慣れ始め、洋服屋も営業を再開しだしたので私も洋服屋巡りを再開した。だが、なかなか教えてやるからお出でよとは誰も言ってくれず、しょうがないので、ある洋服屋のテーブルの一つをお金を払って借りて服作りを始めた。後に分かったことだが、イタリアは左翼が強い国で労働者が強く、経営者は簡単に人を雇わないのが常識だった。極端だが、労働許可証を持たない外国人がちょっと働いて解雇されても、退職金保証を要求出来てお金を取ることが出来る国なのだ。

 私がテーブルを借りた洋服屋は フランコ・カローチョロという方の洋服屋で、スペイン階段を登った教会の右の下がった通り(グレゴリアナ通り)にあった。その通りには何人かのサルトが営業をしていた。そこに二コラ・ペレグリーノ氏がいた。彼はイタリア アカデミア ディ サルティ※1の理事をやっていて、ローマの実力サルトを全て知っていた方だった。彼に出会ったおかげで、カラチェニ※2で修行でき、アカデミアでカッティングの勉強もできた。彼の顧客にクリスチャン・デ・シーカ(デ・シーカの父は名作「自転車泥棒」などで有名な映画監督)がおり、デ・シーカは現在イタリア映画界のスターである。ローマグランドホテルで彼のタキシードのフィッティングを見ることが出来たのが昨日のことのようだ。たまにイタリアに戻りテレビを見ているとデ・シーカがかっこいいジャケットを着ているのを見かける。
また、黄金のフルート奏者 セヴェリーノ・ガゼローニ※3の燕尾服やスーツ・ジャケットの仮縫いにも何回か同伴させていただいた。
イタリアのサルトは女性の服も仕立てる。服飾評論家の第一人者であるビアンカ・マリア・ピッチニーニも彼の顧客だった。彼女のジャケットの中縫いを私が作らせていただきフィッティングにも同伴させてもらった。その時の感激した思い出も今なお浮かんでくる。

 たまにアンジェロ・リトリコ※4の店へ立ち寄りいつもバールでコーヒーを御馳走してもらった。リトリコは当時世界的に有名なサルトで、カリスマだった。

ローマでの出会いは、今思い返しても素晴らしい方々との縁だったのだと思う。

ローマ スペイン広場
正面の教会の右に下る坂がグレゴリアナ通り

二コラ・ペレグリーノ氏

※1 イタリア アカデミア ディ サルティ・・・ローマの裁断学校。船橋も通った。
※2 カラチェニ・・・イタリアの有名なサルト。ここでのカラチェニはローマのトミー&ジュリオ・カラチェニ
※3 セヴェリーノ・ガゼローニ・・・イタリアのフルート奏者。
※4 アンジェロ・リトリコ・・・ローマの超大御所サルト。