2015/04/14

Saggio 船橋幸彦がイタリアで出会った人、物、事

今回より定期的に、船橋幸彦がイタリア時代に出会った様々な出来事や人、物の話を、このブログにてエッセイのような形でご紹介していきます。
1970年代後半~2009年までの30余年をイタリアで過ごし、イタリアという国で日本人洋服屋として生きてきた船橋幸彦の体験は、日本では考えられない逸話(?)もたくさんあり、このブログで少しづつではありますが紹介していければと思います。



#1 「ロンドンからローマへ」

 1976年4月、お世話になっていた中嶋さん夫妻※1と車でウェールズ・スコットランド・ネス湖と旅行に行き、1週間ほどでロンドンに戻ると、驚きの手紙が届いていた。
当時ロンドンにおいて労働許可証は当然持てず、英語学校のビザで入国しており、朝は学校、午後はジャケットを縫う事を学んでいた。
その手紙の内容はなぜか不法に仕事をしているとのことであり、仕事場の他の外国人労働者の妬みの矛先が私にきたようだ。
元々ローマに行くのが目標だったので、テムズ川のほとりを歩きながらローマが僕を呼んでいると、想いが移っていった。
 6月、パリまで飛行機で行き、パリからミラノへ、そこから又汽車でローマを目指した。道中の事はよく覚えていないが、汽車の椅子が木だったのはよく覚えている。6月のローマは既に初夏で、気候もロンドンと全く違っていた。女性の多くが芸能人のように美しく感じられた。
バルベリーニ広場近くの安いペンショーネを見つけ、とりあえず落ち着いたのだが、どうも汽車の木椅子の長旅でお尻が痛くなり、自分では見えないのでどうしたものかと思っていた、、、。
そのうち高熱も出てきて、やばいと思い救急医療に飛び込んだ。イタリア語のイの字も分からないまま手術となったが、若さゆえ不安も特に無く同期の桜を歌っていた。
結局1週間ほどの入院だったが、その間、言葉が通じずペンショーネにある日本の本が読みたくてパジャマのまま逃亡を企てたが守衛に連れ戻されたりもした。
イタリアに来て早々アクシデントに見舞われたが、無事お尻の痛みも無くなり、退院後はローマの洋服屋巡りを始めた。

続く

ローマ バルベリーニ広場


※1 船橋が故郷長崎から東京町田の羊屋という洋服屋で修行をしていた時の、羊屋の主人の息子さん夫婦。中嶋さんも英国で洋服の勉強をしていた。