2015/06/30

ミラノ万博便り

現在行われいてるミラノ万博について、ミラノから便りが届きましたので皆様にご紹介いたします。

ミラノ万博日本館で5月31日~6月2日までの3日間、有田焼創業400年事業として佐賀県プロモーションを実施し、初日の5月31日に開催したオープニングセレモニーの模様を、現地在住の文筆家/比較文化研究科の片岡潤子さんが日本イタリア文化協会のwebサイトに寄稿しております。


またミラノから現地の便りが届きましたらお届け致します。

2015/06/19

Saggio #6

「Spaghetti alla chitarra」


 ローマ生活も4年が過ぎたころの1980年7月末頃、兄の芳信が私を連れ戻しにローマにやってきた。両親に命を受けたようだ。

兄は大学卒業後新聞記者にでもなるのかと思っていたが、私が東京のテーラーで修行中に、「婦人服をやりたい」と言い出し、大学卒業後に伊東茂平先生※1のイトウ洋裁研究所に通いだし、その後はパタンナーとして働いていた。
ローマに来た兄は私の生活を見て、これは説得は無駄だと思ったようで、逆にローマ生活を楽しむようになり、遂にはそのまま居付いてしまった。特にオペラが気に入り、頻繁にローマ歌劇場に通っていた。兄の順応性には驚かされる。

 兄が来て2、3ヶ月が過ぎたころ、友人のフィオレが恋人のジュリア―ナの田舎であるペスカーラに行くので来ないかと誘ってくれた。これは是非兄と一緒に行ってみたいと二つ返事で日時を決めた。ペスカーラはローマからアピニーニ山脈を挟んでアドリア海側にあり、風景もとても楽しみだった。

当日朝早めにローマを発ちペスカーラへ向かった。予想通り景色はとても綺麗で、約2時間半程のドライブは大変楽しめた。
約束の13時にペスカーラ近郊の待ち合わせ場所に着いた。10分が過ぎ、フィオレとジュリアーナは少し遅れているんだと思いつつ待っていた。30分が過ぎ、不安が襲う。当時は携帯など無いので連絡の取りようがない。45分も過ぎると場所を間違えたのではと兄と二人で話し、どうしようかと焦る。するとちょうど14時に「ciao ciao」とフィオレとジュリアーナがやってきた。ほっと胸を撫で下ろした。なんと、ちょうど前日の夜にサマータイムが終わったことを忘れていて、私達とフィオレ達との間に1時間時差が出来ていたのだ。

無事フィオレ達と合流でき、ジュリアーナの祖母の家に向かった。ランチに招かれたのだ。
祖母宅に着き、ジュリアーナの叔母さんの手打ちのパスタ”スパゲッティ アラ キタッラ”が出てきた。イタリアに来てこのキタッラというパスタは初めてで、一口食べる。

!!!

これがあまりの美味しさだった。なんのことはないトマトソースの味付けだけのシンプルなパスタなのだが、新鮮なトマトの香りとパスタの風味、そしてソースと絡んだ時の何とも言えないコクと自然な旨みがたまらなく、その後2回もおかわりをしてしまうほどの感動だった。「キタッラ」とは、ギターのことで、木の枠にギターのように細い弦を張って麺を作ることからこの名前なのだという。この道具も叔母さんに見せてもらった。
他にもサラダなども出たと思うのだが、とにかくこのキタッラの感動が強すぎて、他の料理は覚えていない。

その後ローマに戻り1ヶ月が過ぎたころ、この時の味が忘れられずにいた私はフィオレに、あのキタッラを是非もう一度食べさせてもらえないかとジュリアーナに頼んでほしいと懇願した。優しい彼はすぐに彼女に頼み、彼女のローマの家に呼ばれることになった。
当日、あのキタッラが食べられると喜びながら兄と一緒にジュリアーナの家に行った。そこでジュリアーナのお母さんが作ってくれたキタッラを御馳走になった。だが、残念ながらあの味ではなかった。。。
違うのは当然だ。ローマとペスカーラでは空気や水が違う。そしてペスカーラの家ではトマトも自家栽培しており、そのトマトで作った自家製トマトソースが違うのだ。
ペスカーラで味わった感動は、その後33年いたイタリアでもあの時が最初で最後であった。
あのシンプルで自然な旨みはあそこでしか味わえないものなのかもしれない。

 未だにあの感動が忘れられない私は、日本橋で知り合い通うようになった近所のイタリア料理店「fratello」※2に行っては、「あの時のキタッラが忘れられない」と言ってみたり、「パスタはシンプルなポモドーロがいいよね」などと好き勝手に言っていたら、オーナーの日高さんが昨年9月にイタリアに行った際にキタッラを作る道具を買ってきてくれた。この話を覚えていてくれたのだ。そして、その”スパゲッティ アラ キタッラ”を作ってくれた。
なんと、これがまさしくあの味に近く、美味しかった。
聞くと、トマトは鎌倉の美味しいトマトで作ったトマトソースだそうだ。
あの時の感動が蘇り、彼が私の夢を叶えてくれたのである。




※1 伊東茂平・・・昭和期の服飾デザイナー。イトウ洋裁研究所を主宰。日本の洋装の草分け的存在であった。

※2 fratello・・・日本橋本石町4-4-12にあるイタリア料理店です。オーナーの日高さんは元高校教師から料理人という異色の経歴の方です。料理が本当に美味しく、気軽に入れる雰囲気なので是非気になった方は行ってみてください!→fratello フェイスブックページ

実際に「fratello」の日高さんがイタリアで購入してきたキタッラを作る道具。
この上に伸ばしたパスタ生地を乗せ、棒で下に押し出す。

2015/06/12

Caccioppoli "ZELANDER WOOL" GIACCA CAMICIA Buono仕立て

なかなかの夏日が続いてましたが、今日は割と過ごしやすいですね。
気温差で体調崩しやすくなってますので、皆様お気を付けください。

お仕立て上がりのご紹介です。

Caccioppoli "ZELANDER WOOL" GIACCA CAMICIA (Buono仕立て)

ナポリの生地メーカー「カチョッポリ」のZELANDER WOOLの生地です。ZELANDER WOOLというとロロ・ピアーナが有名ですが、カチョッポリです。
ZELANDER(ジランダー)WOOLは、ニュージーランド産メリノウール100%の生地で、柔らかく強いのが特徴です。程良い光沢感と強撚糸によるサラッとした手触りが、すごく良いです。270g/mと夏物の中では特別軽いものではないですが風通しが良く、手触りと相まって軽く感じます。更にGIACCA CAMICIA仕様にしてますので、より一層軽量で夏には最適です。

袖裏もありません。(ベンツのしつけ糸は後ほど取りました)
色も夏に良く合う綺麗なブルーです。

A様、いつもありがとうございます!

2015/06/09

CANONICO summer mesh jacket GIACCA CAMICIA  Buono仕立て

関東もいよいよ梅雨入りしました。少しどんよりしております。
そんな気分の時こそ新しい服を着て気分を盛り上げましょう!

では、お仕立て上がりのご紹介です。
まずは仮縫い時からのご紹介をいたします。


最初の着せ付けの段階です。
前はラインが出ていなく、後ろもよく見るとベンツがきれいに収まってません。
肩を外し、補正開始です。


補正後です。
前のラインも出て、後ろの収まりも良くなりました。

そして、出来上がりです↓


CANONICO summer mesh jacket "GIACCA CAMICIA" (Buono仕立て)
&
RINGHART Linen100% chek shirt

ジャケットはイタリア、カノニコ社のメッシュジャケット地です。ウール100%の強撚ですので、シワになりにくくこの季節に最適です。ライトグレーが爽やかです。
ジャケットの生地に合わせてメッシュの毛芯を使ったGIACCA CAMICIA仕様ですので、風びゅんびゅんの手触りペラペラです。しかし着るとしっかりと立体的です。

また、同時にリネン100%のシャツも御注文いただき、こちらはタイドアップも出来つつカジュアルにも着られるようにとの御注文でしたので、通常より少し着丈を短くし、襟の芯も普段よりも柔らかい芯にしております。写真では見えませんが、お客様は背の右の肩がガクンと落ちておりますので、ジャケット同様シャツにも肩下がりを入れております。
※出来上がりの画像は携帯で撮影したものでして、仮縫い時の画像より色味や画質が変わってしまいました。

T様、御注文ありがとうございました!



2015/06/07

Saggio #5

「古波蔵先生」

 1985年頃の夏、ミラノの兄から連絡があり、古波蔵先生古波蔵保好Wikiご夫妻がミラノからローマに行くので案内を頼むとのことであった。古波蔵先生の奥様である鯨岡阿美子さんは、アミコファッションズ※1を主催された方で、かなりのファッション通であられた。鯨岡阿美子Wiki

 お二人の泊まられているホテルはスペイン階段上のHASSLER ROMAで、ここはアンドレオッティ元首相もよく泊まられていて見かけることも多々あった。そのホテルに夕食のお約束でお迎えに伺った。初めてお会いするご夫妻は物腰の柔らかい印象であった。タクシーが来ると、古波蔵先生はまず奥様をエスコートされた。この仕草が本当に自然で格好良く、この光景は今でもはっきりと目に焼き付いている。
グルメとしても有名なご夫妻が選ぶレストランは、住んでいる私が行けるようなところではなく、食するということで私がお二人に提案出来るものといえばナポリのピッツァであった。今でこそ東京でもナポリピッツァが至る所で食べられるが、当時日本ではほとんど知られていなかったので、ナポリピッツァの説明をした。「ピッツァの命は生地です。うどんで例えると高松のこしのあるうどんと同じです」と説明をすると、ではいただいてみますかと、翌日私の車で行くこととなった。

 翌日、ローマからナポリまで約180キロ、日帰り出来る距離である。クーラーもない古いベージュのシトロエンGSだったので、今考えてみても大変お疲れになっただろうと思う。
向かった店は、当時よく行っていたベスビオ火山の登り口にあるトラットリア(確か店名はGianni al Vesuvio)で、ピッツァ・マルゲリータとカプリチョーザを頼んだと記憶している。しばらくしてテーブルにピッツァが運ばれてきて、さあいよいよと一口食べる。
唖然。。。
いつもの腰のある美味しい風味のある生地ではなかったのである。わざわざお二人をローマから食べにお連れしてこの味、愕然とした。今では笑い話になるが、その瞬間は笑いにもならなかったのは言うまでもない。
後日この一件は古波蔵先生の著書「骨の髄までうまい話」にも書かれている。

その後、我々兄弟は古波蔵先生に大変お世話になり、東京に行った際には日本料理や中華など色々なお店に連れて行っていただいた。

 奥様の阿美子さんが88年にお亡くなりになり、古波蔵先生はお葬式に阿美子さんの好きだった胡蝶蘭を関東中から集めた。私も沖縄に胡蝶蘭を持ってお墓参りに行かせていただいた。その際、古波蔵先生は息子さんがやっている沖縄琉球料理の「美栄」に連れて行ってくださった。
お座敷に通され、古波蔵先生に座りなさいと言われ広い座敷に一人で座って待っていると、次々と琉球舞踊の方々が踊りを披露してくれた。古波蔵先生は私一人のためにわざわざ舞踊団を手配し、もてなして下さったのだ。

 古波蔵保好、鯨岡阿美子ご夫妻は私の人生の精神と魂に今もなお影響を与え続けている大事な二人である。


古波蔵保好先生は「男は煙のように消えるものにこそ金を使え」と名言を残した、昭和が生んだ数少ないダンディの一人であった。写真で着用している黄色のコーデュロイジャケットは船橋が仕立てた。

※1アミコ・ファッションズ・・・ファッション業界で働くデザイナー、パタンナーのプロ育成を目的とした立体裁断の学校。現在は大野順之介先生が代表。


船橋のお兄さんのよしさんも古波蔵先生との思い出をブログに綴っています・・・Yoshi Funabashiのブログ

古波蔵先生の息子さんが経営している沖縄琉球料理 美栄ホームページ

2015/06/03

Caccioppoli LINEN100% GIACCA CAMICIA Buono仕立て

ブログの更新久しぶりになってしまいました。

お仕立て上がりのご紹介です。

仮縫いの段階からご紹介いたします。


仮縫いでは肩周りはきれいに収まっておりますが、後ろのベントが開いています。
バランスが合っていないので、前から見たラインも少しズドンとしています。


出来上がりです。
Caccioppoli LINEN 100% GIACCA CAMICIA (Buono仕立て)


カチョッポリのリネン100%チャコールグレーの生地です。厚すぎず、今時期~夏にちょうど良い生地です。
GIACCA CAMICIA仕様です。前に芯が一枚のみで風通しも抜群ですが、バランスが合っているので立体的で綺麗なラインが出ています。肩周りはもちろん、ベントも綺麗に収まっており無いように見えます。
最初はかちっとした綺麗な印象ですが、着ていくうちにリネン特有のへたり感が出てきて、こなれた雰囲気に変化していくのも楽しみな一着です。

T様、次のジャケットも是非ご期待下さい!