2015/06/07

Saggio #5

「古波蔵先生」

 1985年頃の夏、ミラノの兄から連絡があり、古波蔵先生古波蔵保好Wikiご夫妻がミラノからローマに行くので案内を頼むとのことであった。古波蔵先生の奥様である鯨岡阿美子さんは、アミコファッションズ※1を主催された方で、かなりのファッション通であられた。鯨岡阿美子Wiki

 お二人の泊まられているホテルはスペイン階段上のHASSLER ROMAで、ここはアンドレオッティ元首相もよく泊まられていて見かけることも多々あった。そのホテルに夕食のお約束でお迎えに伺った。初めてお会いするご夫妻は物腰の柔らかい印象であった。タクシーが来ると、古波蔵先生はまず奥様をエスコートされた。この仕草が本当に自然で格好良く、この光景は今でもはっきりと目に焼き付いている。
グルメとしても有名なご夫妻が選ぶレストランは、住んでいる私が行けるようなところではなく、食するということで私がお二人に提案出来るものといえばナポリのピッツァであった。今でこそ東京でもナポリピッツァが至る所で食べられるが、当時日本ではほとんど知られていなかったので、ナポリピッツァの説明をした。「ピッツァの命は生地です。うどんで例えると高松のこしのあるうどんと同じです」と説明をすると、ではいただいてみますかと、翌日私の車で行くこととなった。

 翌日、ローマからナポリまで約180キロ、日帰り出来る距離である。クーラーもない古いベージュのシトロエンGSだったので、今考えてみても大変お疲れになっただろうと思う。
向かった店は、当時よく行っていたベスビオ火山の登り口にあるトラットリア(確か店名はGianni al Vesuvio)で、ピッツァ・マルゲリータとカプリチョーザを頼んだと記憶している。しばらくしてテーブルにピッツァが運ばれてきて、さあいよいよと一口食べる。
唖然。。。
いつもの腰のある美味しい風味のある生地ではなかったのである。わざわざお二人をローマから食べにお連れしてこの味、愕然とした。今では笑い話になるが、その瞬間は笑いにもならなかったのは言うまでもない。
後日この一件は古波蔵先生の著書「骨の髄までうまい話」にも書かれている。

その後、我々兄弟は古波蔵先生に大変お世話になり、東京に行った際には日本料理や中華など色々なお店に連れて行っていただいた。

 奥様の阿美子さんが88年にお亡くなりになり、古波蔵先生はお葬式に阿美子さんの好きだった胡蝶蘭を関東中から集めた。私も沖縄に胡蝶蘭を持ってお墓参りに行かせていただいた。その際、古波蔵先生は息子さんがやっている沖縄琉球料理の「美栄」に連れて行ってくださった。
お座敷に通され、古波蔵先生に座りなさいと言われ広い座敷に一人で座って待っていると、次々と琉球舞踊の方々が踊りを披露してくれた。古波蔵先生は私一人のためにわざわざ舞踊団を手配し、もてなして下さったのだ。

 古波蔵保好、鯨岡阿美子ご夫妻は私の人生の精神と魂に今もなお影響を与え続けている大事な二人である。


古波蔵保好先生は「男は煙のように消えるものにこそ金を使え」と名言を残した、昭和が生んだ数少ないダンディの一人であった。写真で着用している黄色のコーデュロイジャケットは船橋が仕立てた。

※1アミコ・ファッションズ・・・ファッション業界で働くデザイナー、パタンナーのプロ育成を目的とした立体裁断の学校。現在は大野順之介先生が代表。


船橋のお兄さんのよしさんも古波蔵先生との思い出をブログに綴っています・・・Yoshi Funabashiのブログ

古波蔵先生の息子さんが経営している沖縄琉球料理 美栄ホームページ