2017/03/09
出島表門橋
みなさまご存知でしたでしょうか?
弊社の代表船橋の故郷長崎では、2013年12月から明治時代に撤去された出島の表門橋を復元するプロジェクトが発足され、今年の2月27日遂に「出島表門橋」が完成致しました。
元々長崎市では1951年から100年計画で出島を復元する計画があり、今回の表門橋架設もその一環として進められていたようですね。
出島に橋が架かるのは実に130年ぶりの事だそうで、当日は架橋イベントとして橋の完成を見物する為多くの人々がカステラを片手に完成を見守っていたそうですよ。
代表船橋もこれを大変喜ばしく思い、ぜひみなさまにお知らせしたいとの事でしたので、ブログに綴った次第でございます。
~船橋からのコメント~
出島に130年前の橋が再現されました。
私は長崎市生まれの長崎育ちなので、これは大変興味深く、嬉しい出来事です。
この出島が日本の近代化を早め、大事な役目を果たしたことは、皆様もご存じのことと思います。
そして昨年、出島は世界遺産として登録されました。
「市井」という言葉がありますが、井戸のある所に人が集まるように、「外来の新しい知識」のある出島に人が集まり、すべてが分け隔て無く啓蒙され、新しい物事が生まれていったのでしょう。
私どもがアトリエを構えるここ日本橋も、江戸時代に五街道の起点であったことで地方から多くの人が集まり、混ざり合った結果、新しい文化を産み出す拠点の「市井」となっていきました。
当時、日本橋四丁目には長崎屋と云う薬種屋がありました。
長崎に駐在していたオランダ商館長の江戸参府の折の定宿地となり、またそれにはケンベルやツンベルク、シーボルトなどといった医師が随行したため、長崎屋は江戸唯一の外国人の交流地としても有名になり、日本の名だたる人達が訪れた様です。
そして私は、この日本橋4丁目に、長崎、東京、ロンドン、ローマ、ミラノとめぐりめぐったあと、戻って参ったのです。
こちらの写真は弊社からも近い室町3丁目交差点の新日本橋駅4番出口脇に設置されている説明板でございます。
春の訪れも近くなりましたので、弊社に訪れた際は近隣を散歩しながら長崎と日本橋との繋がりや江戸文化に思いを馳せるのもまた一興かと存じます。