そのイタリア中部地震から見るイタリアという国の在り方について、イタリア在住の比較文化研究家・文筆家の片岡潤子さんが神戸日伊協会会報2016秋号に寄稿した文章を今回掲載させて頂きます。
外からではなかなか知り得ないイタリアという国の体質が垣間見えると同時に、地震大国日本にいる我々としてもとても考えさせられる内容ですので、是非ご一読いただけると幸いです。
「イタリアにおける地震について」
2016年8月24日、またしても、イタリア中部アぺニン山脈の町が地震に見舞われました。マグニチュード6.2の中地震ではあるものの震源の深さが10キロと浅い直下型で、石造りの古い建物はひとたまりもなく、死者は約300人にも上りました。
7年前の2009年4月、今回と同じくアぺニン山脈の中にあるラクイラ(13世紀に築かれた町。人口6万7000)で起こった地震においても、死亡者はやはり今回と同じで約300人でした。そのラクイラ地震において重要視されたのは、1972年に建設が開始され完成までになんと28年も要したという総合病院が、崩壊したこと。更には市内の学生寮が崩れて何人もの学生が命を落とし、県庁などの近代的建物が壊れ、町が機能不全になったことなどでした。もちろん、それらにおいて違法建築が明らかになりました。
そもそも病院の建築期間28年などという あまりにもお粗末なふざけた話に、イタリアという国に対して呆れる気持ちが強くなるばかり。今回の地震の被害の大きさを伝えるニュースを見ても腑に落ちないものがあり、自然災害としてそのまま受け取ることができません。当国は本当にG8(G7)のメンバーであろうか、本当に先進国と言えるのであろうか。ヨーロッパ一高いと言ってもいいような税を国民に課しているにもかかわらず、この国はヨーロッパ一機能していないと言っても過言ではない。イタリア国民はこのような国で暴動も起こさずに
おとなしく生活しているのです。
日本人が憧れる国イタリアとフランス。ですがこの二国の国民性には大きな違いがあるように思います。イタリア国民はあまりにも土着的で、従順です。革命を起こしたほどの国民とは違っています。確かにイタリア人のこの牧歌的な性格に日本人は親近感を覚えるのでしょう。しかしこういった資質こそが、あの、問題になった「シャルリー・エブド」の風刺画にて指摘されているように思うのです。
今回の地震で最も大きな被害を受けたのは、アマトリーチェという人口わずか2650人(2016年3月現在)の田舎町。「イタリアが誇る美しい村」の一つに選ばれているだけでなく、イタリアの最も伝統的なパスタ料理の一つスパゲッティ・アッラ・アマトリチャーナの発祥地としても有名です。地震の後、この料理が改めて注目され、弔意を示す意味もあるのでしょうか、テレビの料理番組などでも盛んに取り上げられています。
さて、パスタで有名な村が壊滅したということから、お騒がせの「シャルリー・エブド」仏紙が発表した風刺画がなんと、血を流した被災者をトマトソースのパスタに見立てて描いたものであった件は、日本でも報道されたことと思います。挙げ句の果てに、瓦礫に埋もれた人々をラザニアにして表すという悪趣味ぶり。もちろんイタリア国民は「恥を知れ!」と大反発しました。
そしてその数日後、「シャルリー・エブド」は性懲りも無く今度は「あなたたちの家を建てたのはシャルリー・エブドじゃないよ。マフィアなんだよ」と書き込んだ漫画を発表したのです。これにも反発が巻き起こりました。ですがこれは、私が上述したことを表しています。「シャルリー・エブド」は元々、こちらの方の風刺をしたかったのでしょう。初めから、被災者をラザニアにしたりせずに
こちらの方を発表すればよかったのに。それとも、反発が来ることは想定内で、あえて世間の耳目を集めるためにこの不謹慎な絵を発表したのでしょうか。「だってわかってるの?あなたたちの家を建てたのは僕たちじゃないんだよ。マフィアだよ。責める相手が違うんじゃない?」という返しは実にうまいと思います。不謹慎ながら。
在伊フランス大使館は、「シャルリー・エブドの漫画はフランスの立場を示すものではない」と慌てて声明を出しました。
イタリアの最北部は、左右にアルプスが走っています。そして縦にはイタリアのど真ん中をアペニン山脈が北から南に貫いています。そのアペニン山脈が地殻変動によって北東と南西に引っ張られているため、中央の山中で地震が頻発するのだそうです。確かに数年に一度、今回程度(M6程度)の地震が、イタリア中部の村々を半壊滅状態にしていっています。この辺りを襲う地震はいつも震源が浅いため、地震に見舞われる範囲は狭いものの破壊力があるのです。にもかかわらず真摯な地震対策が遅々として進まない。もうこれは、イタリアという国の性格を如実に表している、としか言えません。地震がある度に同じような結果となり、そこで同じような問題が浮上し、同じような嘆きが聞かれる。1979年と1997年に地震の被害を受けたノルチャ(アマトリーチェ近郊。今回も地震に見舞われました)では、過去の苦い経験から、官と民が協力して耐震強化していたそうです。この度は被害がほぼ皆無でした。つまり、景観第一の中世の町にも何らかの対策はあるということなのです。ましてやノルチャは、中世どころか5世紀のサビーニの時代にまで遡る古い古い町なのだそうです。
イタリアは美しい財産を持ちすぎているから身動きが取れない、ということなのでしょうが、それは本末転倒です。
今回は夏休み中の未明の地震であり、崩壊した学校に誰もいなかったことが不幸中の幸いでした。そう、「2012年に補助を受けて耐震補強工事が為されていた」という学校が崩れたのです。9月12日の月曜日、被災地でも新学期が始まりました。仮設の学校に登校してきた子供達にテレビニュースがインタビューをしています。「怖くないよ。大丈夫だよ。だってちゃんと作ってあるもの」。うーん大丈夫なのかなあ。目を輝かせながら胸をそらして元気いっぱいに話すイタリアの生意気な子供たち。彼らを瓦礫に埋もれさせるようなことをしないでほしい。「だってちゃんと作ってあるもの」という言葉を大人たちはしっかりと受け止めてほしいと、心から思います。
アマトリーチェは老人が多い村であり、夏休みに遊びに来ていたお孫さん達が多く亡くなったそうです。ずらっと並べられた小さな棺と、それに取りすがる母親の姿。こういった光景を見て、イタリアの行政は今どうすべきだと考えているでしょう。イタリアの将来を担う子供たちのために何をすべきとこの国は考えているのでしょう。
以下に参考資料として、この国で特に多くの死者を出した歴史的な地震を羅列します。これを見ると、「シャルリー・エブド」に嫌味を言われても仕方がないと感じるのです。外国人から見たイタリアへの苛立ちがあの風刺画になって表れたのだと私は思います。
1117年 北東伊ヴェローナM6.4死者3万
1169年 東シチリアM6.6死者2万
1348年 北東伊フリウリM6.7死者1万
1456年 中部伊M6.96死者3万
1638年 南伊カラブリアM7死者1万
1688年 南伊M7死者3000~1万?
1693年 東シチリア、ナポリM7.41死者シチリア6万、ナポリ不明。イタリア史上最大規模の地震
1694年 南伊バジリカータM6.9死者6000
1703年 中部伊ノルチャ、ラクイラM6.7死者6000~9000
1783年 南伊カラブリア、シチリアM6.9死者5万
1805年 中南伊カンパーニャ、モリーゼM6.6死者5573
1857年 南伊バジリカータ、カンパーニャM7死者1万2000
1908年 南伊レッジョカラブリア、シチリアM7.2死者12万
1915年 中部伊アブルッツォM7死者3万3000
1980年 南伊カンパーニャM6.5死者2914
※この文章は神戸日伊協会会報2016年秋号に初出掲載したものです。
比較文化研究家・文筆家
片岡潤子